地区医師会の沿革

十全堂社、そして酒田地区医師会

img_tenpou_4当地区医師会の起源は1833年(天保4年)にまで遡ります。篤志家が私財を寄贈し、医会所が作られ、十全堂と名付けられました。「十全」の語は「周禮」「天官医師」にあります。その中では、医師の仕事ぶりを評価する際に、十全であった か、失敗が一つあったか、二つあったかを監察し、その俸禄を制定していたといわれています。十全とは、医師の職は一の失敗も許されぬ厳しさを示す語である と言えるでしょう。

以来、十全堂社(戦後、酒田地区医師会も並立)は、江戸・明治・大正・昭和と時代を超え、地域医療・公衆衛生・看護婦養成など幅広い活動を続けてきました。(写真は明治時代に建設された十全堂社:十全堂社社屋内に地区医師会が併設)

しかし新公益法人制度改革に伴い、十全堂社と酒田地区医師会は平成23年9月26日に合併し、社団法人酒田地区医師会十全堂となりました。

さらには、平成25年4月4日に、一般社団法人酒田地区医師会十全堂となりました。

十全堂社、そして酒田地区医師会

img_sakatakango平成8年4月からは、准看護師が看護師の資格を得る道として進学コースを併設し,看護科,准看護科の2課程を持つ看護専門学校となり多くの人材を養成してきました。(写真右は酒田看護専門学校)

そして平成22年春からは、酒田市立酒田看護専門学校として引き継がれています。